Automatic Words

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『ジキルとハイド』

今週のお題「読書感想文」ということで『ジキルとハイド』について感想を述べたいと思います。

 

~あらすじ~

 ジキル博士は品行方正で、博識で、街で1番と言っても過言ではないくらいの良識ある人物。そのジキル博士が住む街で、不穏な事件が起こる。深夜にある男が幼い少女を踏み潰してしまうという極悪非道な事件である。しかしこの極悪非道な男はなんとあのジキル博士の友人であった。弁護士アタスンはジキル博士が悪い男に脅されていると推測し、ジキル博士を悪の手から救おうとする。ジキル博士は一体何に巻き込まれているのだろうか。

 

 

コメント

 この話はジキル博士という善人とハイド氏という悪人から成り立っています。しかし本当にジキル博士は善人と言えるのでしょうか。ジキル博士の告白の中で明かされたのは、自分の中で積もり積もった悪への衝動があの薬の製作に繋がったことです。あの薬を作るまでは、ジキル博士の中には善の部分と悪の部分があり、善がかろうじて悪に勝っていただけなのです。悪である自分に快感を覚え、しかもハイド氏からジキル博士に変わることで自分の悪行は罰せられない。悪への依存が高まります。最終的には通常状態が悪になってしまい、その恐怖から自ら死を選んでしまいます。

 このお話が示すのは、善と悪はキレイに2つに別れていないということです。根っからの善人もいなければ、根っからの悪人もいません。人の中には善と悪が混ざり合っており、絶えずその2つは争っているのです。しかしこの争いは善にとって有利なものです。なぜなら悪は悪行という行為でしか表出されないからです。罰則がある限り、悪は心の中に居場所を求めます。一方で善は善行といった形で世間に奨励されるものであるため、積極的に表出されます。悪は心という狭い場所に追いやられ、善は世界という広大な場所にいることができます。そのため世界では悪より善の方が優位な立場にいます。逆に言うと、心の中では悪の方が優位な立場にいます。つまり、心の中では誰もが悪人でありうるということです。それは罰を受けるものではないため、心の中に積み重なっていきます。その積み重なった悪を全て外に出した者がジキル博士であるのだと私は思います。

 ジキル博士は善人かと言うと、善人ではありません。そして悪人でもありません。人より心の中に悪を積み重ねてしまった男なのです。誰もがジキル博士になりうることを努努忘れてはなりません。

 

『ジキルとハイド』

著者:ロバート・L・スティーヴンソン

訳者:田口俊

新潮文庫、2015年